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	<title>故郷をデッサンする 「風と遊び土に訊く」</title>
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	<description>目に映る「大村」のスケッチブックです。</description>
	<lastBuildDate>Thu, 28 Aug 2008 02:00:04 +0000</lastBuildDate>
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		<title>信州の旅 (12)</title>
		<description>&#160;   8月5日　午前4時過ぎに目が覚める。ホテルの遮光カーテンを静かにあけるが、6Fの窓から外を見ると駅の街灯が寂しく灯っているだけだった。二度寝しようと思うが、寝返りばかりうって寝付けない。そうこうしていると６時前になったのでTVのスイッチを入れた。ローカルの放送を見たいのたが、全国版ばかりである。思うに、ローカル局のローカル制作のものは、もっと方言で放送してもよさそうのものなのに、共通語を使うのだろうか。方言に対する劣等感といった感覚が、未だにかぶさっている。ローカル放送は、地域方言の独特なニュアンスを積極的に活用して生活に馴染んだ地域文化の熟成につとめるべきではないだろうか。やせ細るばかりの地方文化を少しでも蘇生させるためにも良い考えだと思うのは、私一人だろうか。まあ、一つの県に幾つもの方言が根付いているのでどの方言を使うのかは迷うところであるが。お国言葉が聞かれない地方を旅するのは、なんとも寂しい。  昨日夜、近くのお店で買った味噌饅頭(これは大村にはない)を一つかじりながら、インスタントコーヒーで、軽い朝食とした。９時ころチェックアウトして、松本城に向かう。「城」に関心があれば、２時間も３時間も飽きることはないのだが、今のところ関心がないため、外観だけ眺めて郷土博物館に入館する。  そう言えば、長野県は、満蒙開拓団の移民を数多く送り出した県でテレビドラマ「大地の子」の主人公の両親は、長野出身者だった。 満蒙開拓団のスローガンの一つに「五族協和」があるが、五族とは、日・漢・満・朝・蒙であり、満州開拓民は、日本国籍のままである。満州は、日本の植民地ではなくあくまでも外国であるはずなのに満州国民とならないのはどういうわけか、日本の国家指導者の傲慢な意図が透けて見える。また、満州の入植地は無主の地ではなく漢人乃至満州人の地主がいたのだが、地主を強制的に立ち退かせタダ同然で買い上げた農地であった。これでは、反日運動が起こるのも無理のないことだ。終戦時に、多くの開拓村が、襲われたのも故あることなのだ。 さて、日本近代の歴史において欠くことのできない長野県関係者として 福島安正&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;  河原操子 川島芳子 をあげることができる。それぞれの伝記及び関連書籍を読めば、粗粗の日本近代史となる。松本市立博物館では、これら郷土の著名人にそれほど焦点を当てていないように思われる。現代の時代風潮としては、どうしても批判的な説明にならざるを得ないためなのだろうが、残念なことである。自虐史観を超克し、戦前の史観をも超えぬ限り歴史を鏡とすることはできない。もっともこのようなものの言い方自体、奥歯に物の挟まった言い方ということは自ら認めていることである。 ここの博物館は、松本の民俗、特に掛雛に力点を置いているようで、展示スペースからして広く取っている。ここ松本のひな祭りは、独特のひな祭りで、民俗学的にも特異なものなのだそうだ。 帰りに、職員の方に「赤報隊」の資料が何かあるのかお聞きしたが、「ありません」とのことだった。維新の闇の歴史は、未だ光が当たらない。  </description>
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		<title>信州の旅 (11)</title>
		<description>&#160; &#160;   8月4日　午前6時起床。宿の無料バスハイクに参加。高原の爽やかな朝を楽しむ。朝食後、宿のすぐ近くの美ヶ原美術館に行く。箱根・彫刻の森美術館には、確か十数年前に一度行ったことがある。その姉妹館だそうだ。野外に彫刻が展示されていて、彫刻は、自然の中、野外で楽しむものだと再確認した。まさに、彫刻は、楽しむものなのだと。  &#160;  &#160; ピクニック気分で、一日楽しめる美術館だ。具象・抽象いろいろな作品が、青空をバックにゆったりと風景に溶け込んでいる。半分くらいゆっくりと見て回り、家族団らんできた。  午前11時美術館を出発、ビーナスラインを下って霧が峰で一休み、白樺湖を通って蓼科高原へ。ここは、別荘が点在していて避暑やスキーには、絶好の場所なのであろう。別荘地の中にお蕎麦屋さんがあったので、少々遅い昼食をとることにした。茹で加減、蕎麦の喉越し、コシもある細打ちでなかなか美味しい蕎麦だった。お腹も八分目になったので、お昼の温泉に浸ることにして、渋川温泉へ向かう。山の中の一軒家の旅館「保科館」で露天風呂につかる。赤褐色に濁ったお湯で、湘南から山登りに来られた60代のおじさんと世間話をしながらくつろぐ。この方は、50代から山登りの趣味を持ち関東近辺の山々を登り尽くし、信州までその活動範囲を広げているとのこと。週末、奥さんといろいろな山へ行くそうだ。山登りの楽しさは、何も考えず黙々と登ることに尽きるとのこと。私が、山の標高が高くなるにつれて人は、その心の壁を低くし見知らぬ人と気軽に挨拶することができるんですねと言うと、「そうなんだ　不思議なもんだね」と人のよさそうな笑顔で答えた。そんな何気ない会話も見知らぬもの同士の一期一会。  午後3時ころ、長女・次女の帰りの電車に間に合うよう渋川温泉を出発する。長女を茅野駅に次女を塩尻駅へ送るため、途中の諏訪大社に立ち寄りたかったのだが、電車の時間に間に合わないので断念した。無事、電車の時間に間に合う。妻と二人で、松本に向かう。6時過ぎ、松本の東急インにチェックイン。少々時間は早いが、夕食に向かう。勿論、信州蕎麦の小料理屋。地酒に、軍鶏鍋の蕎麦、名物に美味いものあり、絶品である。心地よく酔った。 </description>
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		<title>信州の旅 (10) 美ヶ原高原</title>
		<description>&#160; さて、今日の宿泊地、美ヶ原高原ホテル山本小屋へ出発する。小腹がすいたので、昨日雑誌で調べておいた蕎麦屋を探す。妻や娘たちはそれほどお腹は空いていないというが、ともかく、美味い蕎麦が食べたくて無理やり行くことにした。やはり、見知らぬ土地でのカーナビは便利である。15分ほどでお目当ての店に着いたものの、残念ながら定休日であった。次女に運転を代わり、美ヶ原高原を目指す。しばらく行くと、またもや九十九折の山道、次女の緊張が高まる。幸い対向車もなく　新聞の三面記事に載らずに済んだ。  &#160;    &#160; 午後5時過ぎ美ヶ原高原ホテル山本小屋に到着。俗界を離れたロケーションだ。チェックインを済ませ、散策に出る。見渡す限りの高原だ。爽涼！気持ちが軽くなる。一歩一歩、歩く毎に周りの風景に馴染んで自分自身が透明になっていくようだ。このまま歩んでいけば、清澄な世界に行ってしまうような行ってしまいたいようなそんな心持になってくる。     &#160; ０（ゼロ）になる　天涯へ行く　道歩む  午後７時夕食ジンギスカンをメインにヤマメや山菜・茶碗蒸しが並ぶワインと地酒で楽しむ。ここで働いているアルバイトの男性は、ネパールのシェルパということ数ヶ国語ができるという。食後、入浴。温泉である。贅沢だ。ここのオヤジさんが、美ヶ原の四季というスライドをしてくれた。スライドはそれぞれ綺麗なもので山登りを経験していない私にとって魅力的だ。お話の途中で、この山小屋を建設する苦労話を伺った。戦後、60kg以上の建設資材をショイコに背負って麓から担ぎ上げて建てたそうだ。想像を超える苦労があったと思われる。この山小屋もそろそろ建替えの時期に来ているが、自分が死んでから建替えてほしいとおっしゃっていた。柱の一本一本に思い出があるとのこと。そのお話を聞いて、水一杯・食事のありがたみを感じた。  外へ出ると　満天の星。  </description>
		<link>http://nazuna.omlog.net/archives/187</link>
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		<title>信州の旅 (9)</title>
		<description>  蕎麦については、昨年、友人のところで打ってもらったものが最高に美味しかった。江戸流の打ち方で、極細の更科で喉越しがなんとも言えず今まで食べていた蕎麦が何だったのかと感嘆した。その味をもう一度味わいたくて信州旅行を楽しみにしてきた。草津温泉の蕎麦は、思ったようなものではなく残念だった。やはり観光地のお店では、期待できないものなのか、いやいや、蕎麦の情報誌を調べなかったための失敗だ。喰い意地が汚いことは認めるが、感激するような蕎麦を食したいものである。  昼食後、真田幸村ゆかりの地、上田市へ向かう。午後２時ころ上田城に到着。現在ある上田城は、江戸初期に造られたもので、真田昌幸が徳川と戦った二度の上田合戦の往時の城は関が原戦役後　破却される。徳川にとって真田は、鬼門である。ともかく相性が悪い。それはともかく、上田市立博物館にて、一通り見学し、職員の方にお聞きした。真田家が、ここ上田を治めていたのはそう長いものでもなく　治民に良政を敷いたということも聴かないのですが、今の上田市民が真田家をこんなに顕彰しているのはどんな理由によるものなのかと。  「幸村」という名前の初出は江戸時代の寛文12年（1672年）成立の軍記物語『難波戦記』にあり、史実として真田信繁という名前以外では記録されていない。また、関が原後、九度山に配流されていた信繁が、大阪城に入城するとき門番に、その身なりから山賊と勘違いされたとも言われている。徳川方も、入城したのが、戦上手の父、真田昌幸でないことに安堵している。大阪冬の陣での真田丸の武功により初めてその名が知られ、冬の陣での徳川家康の本陣まで肉薄したことによりその武名が一気に高まった。つまり、真田幸村そのものが、読み物、講談によってずいぶん脚色されたものであり、「真田十勇士」という表現をはじめて用いたのは大正時代に刊行された立川文庫であり、池波正太郎の「真田太平記」によって現代の人気となっている。  それに対しての明確なお答えはなかたが、素直に武田信玄・上杉謙信の人気と同じと考えればよいのだろうか。一時期流行った「まち起こし」の素材として焦点が当たったのであろうか。ともあれ、町中に、六文銭の旗が林立している。それはそれで、結構なことである。    上田市立博物館の隣に山本鼎記念館がある。彼のことは、全く知らなかったのでついでといっては失礼だが、外が暑かったせいもあり、涼むつもりで見学した。館に入って、彼の代表作のひとつ「漁夫」の版画を見てああ！この人だったのかと合点がいった。山本鼎は、まったく胆力のある人である。美術の大衆化、民衆芸術運動のなかに身を投じた版画家、洋画家、教育者である。社会運動家といったほうがいいかもしれない。まったく新しい理念を胸に秘め多くのリスクを背負って事業やった。炎のように燃えた社会改革への情熱のまま驀進したように思える。想像以上の障害に負けず、社会的名声にも見向きもせず自らの使命に生きたまさに明治の人である。人の幸せとは、自らの志を理解してくれる人を得ることではあるまいか。その意味で、山本鼎は、未だに幸せであると思う。 </description>
		<link>http://nazuna.omlog.net/archives/178</link>
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		<title>信州の旅 (8) 草津温泉</title>
		<description>&#160;    　　草津湯もみ唄　　　　草津恋しやヨーホホイ　　　　　あの湯煙にヨ　（ハヨイヨイ）　　　　　浮いた姿がヨーホホイ　　　　　目に残るトカヨー　（ハドッコイセ　ハヨイヨイ）  草津といえば、江戸時代から伝わる独特な入浴法「時間湯」。以下少し長くなるが「時間湯」について（引用）   草津温泉の源泉は51度から熱いところでは94度もあり、しかも刺激の強い酸性泉です。草津温泉には荒行的な治療入浴方で有名な｢時間湯｣というシステムが昔からあります。源泉は高温（度位）であるため、六～七尺の長い板でかき回して４８℃の入浴可能な温度に冷ます為のことを湯もみと言い、湯もみをしてから入浴します。 この温度を下げるこの動作が高温浴のための重要な準備運動になっております。草津節を唄う事によって、湯気の吸引の治療効果があります。（それだけでなく、時間湯の苦行に耐えられるだけの体力があるかを見極めるためとも言われる）頭にタオルを乗せ、お湯を頭からかぶり、血行を良くし、血液を頭部に集め入浴時の、のぼせや貧血を防ぐ為に行います。（３０回）その後に､「湯長」の号令に従い３分間入浴します。　これを１日４回行います。  草津の湯は、皮膚病や花柳病（梅毒）ハンセン病　脚気等に効能があるとされ江戸後期～明治にかけて全国から多くの湯治客で賑わう。しかし、その入浴法は、文字通り命懸けであり　湯治で命を落としたものも少なくない。まるで　地獄の釜茹でのような入浴法だ。 この時間湯を科学的に研究し、世界に論文として発表したのが、明治のお雇い外国人エルヴィン・フォン・ベルツだ。彼は、1876年東京医学校に招かれたドイツ人だ。親日家のベルツは、明治黎明期の日本の文明の様子をその日記に記している。日本の歴史や文化を賞賛すると共に無自覚な西洋文明の輸入が、日本の文明を滅ぼすことになると警句を発するが、当時の日本人には理解されず、逆に批判される。昭和の意味を問うなら開国以前のこの国の文明のあり方を尋ねなければならないとした、渡辺京二「逝きし世の面影」をご一読願いたい。また、もう一人、草津に貢献した人として、大正時代に来日した聖公会宣教師イギリス人　コーンウォール・リー女史を忘れてはならない。彼女は、伝道と救らい事業に尽力した人である。どれほど多くの人たちが、彼女の事業により救われたことだろうか。しかし、らい予防法の施行と昭和前期の外国人排外の中、事業を断念してしまう。  &#160; &#160; 一風呂浴びた後、 信州旅行のもうひとつの楽しみ「そば」を食べに行く。   </description>
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		<title>信州の旅 (7) 草津温泉</title>
		<description>  九十九折の坂道を顔をこわばらせながらペーパードライバーの次女が運転していく。対向車線に大型観光バスの多いこともあって、カーブで出会うと車線オーバーしてくるバスに悲鳴を上げる。エンジンブレーキを効かせてゆっくり走ればよいものを、まあ、そこがペーパードライバーには余裕がないと見える。  10時30分草津温泉、「西の河原露天風呂」に到着。ここは、群馬県になる。 草津温泉は、有馬温泉・下呂温泉にならぶ日本三大温泉のひとつだそうで、源頼朝も入湯したとある。泉質は強酸性、温度も高い。   草津節&#160;&#160; 草津よいとこ　一度はおいで　（ア　ドッコイショ）　&#160;&#160; お湯の中にもコーリャ　花が咲くヨ（チョイナ　チョイナ）  草津節の歴史は意外と新しく大正７年に来草した「平井晩村」が「湯けむり」を発表し、かつ「草津節」の原型と言われる詩を書き残したとのこと。斉藤茂吉の碑もある　いづこにも湯が噴きいでてながれゐる谷間を行けば身はあたたかし  夏の日差しを浴びてコバルトブルーの広々とした露天風呂に浸る。静寂の中に湯船に注いでくる湯の音と、蝉時雨のみの静寂。時間がとろりと湯に溶け込んでいくように蕩蕩として朧朧。  ゆったりと青山仰いで蝉時雨　　　夏の陽射しの露天風呂かな  強い夏の日差しに樹々の葉は、濃暗緑に沈み樹下の深い沈黙の翳は、孤独な夏を際立たせる。  夏陽射し　樹翳は深く　鬼隠す </description>
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		<title>信州の旅 (6) 横手山展望</title>
		<description>  宿を出発して、上り坂を縫うようにして横手山のドライブインに停車する。ここからでも十分に北アルプスが展望できるのだが、ここから動く歩道に乗り、継いでリフトに乗ると2305メートルの横手山山頂に着く。九州には、もちろん2000ｍ級の山などないし、久住連山、祖母傾山の山々には動く歩道やリフトもない。すっかり、商業化されているのが、少々興ざめだが、ふらっときた観光客の一人として正直、便利でもある。このような文明の利器に頼らず、登山道を登っている人たちもいる。頂上の展望を満喫する感慨は、それぞれであろう。  まだ、午前9時を少し回っていることもあり、風が冷たい。標高が高いせいもあり、空が群青色である。その蒼色を背景に、白い雪をかぶった北アルプスの山もある。峻厳・香気・凛冽・凄愴・玲瓏・・・・・・・  信州の平野に住む人たちにとって南・北アルプスは、岩の屏風であり巨大な岩の津波ではなかろうか。なにがしか人を拒むものとして、また、人の伸びやかな空想をも阻む天嶮としてあるのではないだろうか。鹿児島市内から望む桜島の開放的な雄大さに比して、この山々は、人を威圧するほどの圧倒的脅威を持っているように感じた。  手前に目を転ずると、戸隠山・飯綱山が見える。飯綱山の飯綱神社には、飯縄権現が祀られ『飯縄法』を伝授するという信仰が古来からあり、軍神として戦国期の武将たちに受け入れられ、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模・武蔵の後北条の武将たちのなかに広く信仰されるようになった。 私が稽古している、神道無念流開祖、福井兵右衛門先生は、下野出身で新神陰一円流を修行し、廻国修業の途中、信州の飯綱権現に参篭し、神道無念流を開いたと伝えられる。本来ならば、流派を伝承・稽古するものとして参詣すべきところであるが、ここから手を合わせて参詣させていただく。  無念とは、他念無きことなり   </description>
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		<title>信州の旅 (5)</title>
		<description>    &#160; &#160; ８月３日　午前６時前起床。 宿の近くにある「蓮池」を散策する。蓮池といっても、蓮ではなく睡蓮が繁茂している。花も、白ばかりではなく紫色のものや黄色のものもある。蓮と睡蓮の違いは、丸い葉に切れ込みのあるものが睡蓮でそれがないものが蓮である。また、葉及び花が水面に浮かんでいるものが睡蓮　水面よりもたげているものが蓮で　わかってしまえば判別は簡単だ。どちらも、早朝に咲き昼には閉じるという、それが３回つまり３日で枯れてしまうという。池の中をのぞくと、花の蕾は水中にあり　開花時に水面まで茎が伸びてくる。不思議な光景にも見える。  現代短歌のような歌 おはようのかわりに　乙女のような会釈をする　睡蓮の花 蓮は、仏教においては特別なもので　仏様は皆　蓮の葉の上に結跏趺坐しておられる。蓮を聖なるものとするのは仏教以前のヒンドゥー教の頃からで、泥から生え気高く咲く花、水を弾き凛とした葉の姿が、俗世の欲に染まらず清らかに生きることができる象徴と理解したからだ。  濁世を厭(いと)う厭世家(えんせいか)の潔癖性は、心性において頑なでありその思考は硬直化を免れず人生の豊かさを自ら損なうように思われる。濁世を厭うのではなく、濁世と共に生きながら孤高の月を映すようなそんな生き方ができないものだろうかと自らに問いかける。人格の陰翳(いんえい)の深さが足りない人は、賢(さか)しらであり、自分自身の浅薄さに白けてしまい人もまた直截なものだと傲岸になる。そのことに気づいている人は、人に自らの陰翳を語ることに口を閉ざしてしまいかねない。心友とは、得がたいものである。  食後、草津温泉に向かう。 </description>
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		<title>信州の旅 (4)</title>
		<description>&#160;   宿に帰り、温泉に入浴。信州は、長崎県よりよほど温泉地が多い。地図のいたるところに、温泉マークがある。私たちが宿泊したホテルは、冬のスキー客がメインのホテルで、スキー場が近くにいくつもあり　スキーを楽しんだ人たちが一日の疲れを取るために　温泉に入る。今は、オフシーズンで、避暑のお客さんが数組宿泊している限りなので、大名風呂である。夕暮れには、いま少し早い露天風呂には、鶯の声が時折聞こえ、これも思い出したように蝉の鳴き声が聞こえてくる。今朝は、大村にいたのに　いまは、信州の山奥にいることの不思議さに違和感を覚えながら　ゆったりと湯に浸り時差ボケならぬ現実の齟齬感を繕いなおす。  娘二人に久々に顔を合わせた。長女は、今年就職して教師になり、次女は、大学院に進んだ。ピカピカの教職一年生は、小学校二年生の担任を任され、当然のように毎日が忙しいようで、一日の年休を取るのも気兼ねしたらしい。次女は、相変わらず実験に追われて毎日夜遅いという。どちらも、すっかり大人の顔になっている。こんな形で、旅行にいけるのも後1～2年となるだろうと妻に言われ改めて、大人になっていく子供たちがだんだんと遠くになっていくように思えた。  「山に登らなければ、山の高さを知ることができず、谷に降りなければ、地の深さを知ることができない」含蓄ある荀子の言葉である。志を持って学び続けなければ本当の智恵を身につけることはできない。最近になって、このことに合点がいった私である。人は、やはり苦難に会って初めて目が啓かれるものらしい。 </description>
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		<title>信州の旅 (3)</title>
		<description>    道可道、非常道。 名可名、非常名。  道の道とす可きは常の道に非ず、名の名とす可きは常の名に非ず。 中国古典「老子」冒頭の一文だ。訳せば以下のようになるだろうか。  真理(道)と言える真理は絶対不変の固定した真理ではない。物の名称も絶対不変の固定した名称ではない。・・・・・・・・・・わたしなりに意訳すれば水は　水素や酸素から成り立っているんじゃないんだよ真理が水になっているんだ。だから、水は、氷にも水蒸気にもなるんけれどそれがすべて真理なのさ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  中国人の玄妙なコスモスの理解は、現実と常にかかわりながら人間のこころの深層に向けられている。言ってみれば、自然の読み解き方が、現世的でありながら普遍的なのである。  午後4時過ぎに、信州旅行第一日目の宿泊地、志賀高原のホテルに到着。早速、湿原散策に出かける。大村の鬱陶しい暑さとは違って　さらりとした空気である。足元のそこここに高山植物が茂っている。高山帯に固有の植物を高山植物と言うそうで低山帯や丘陵帯にも生えているが、生存適応の幅が広い植物が高山帯にも生えているというものは高山植物と呼ばないそうだ。  山の精霊が、小さく鮮やかな花に宿りアキアカネを招きよせているよな風景に接するうち、散策の足も自然と緩やかになってくる。  人の生の有為と無為　為す術を持たぬはかない生空海の「秘蔵空論」の一節が　心をよぎる  三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず  生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く  死に死に死に死んで死の終わりに冥し（くらし） </description>
		<link>http://nazuna.omlog.net/archives/146</link>
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