田一枚植て立去る柳かな――― 芭蕉
田植えの季節。
水を張った田圃に、緑色の早苗が愛らしく植えられている。
その水面を鏡として、柳が映り山が映り雲が映る。
また、沿線の電車が鏡の電車と並行して走っていく。
まだ、ひんやりとした静かな早朝 今日が少しづつ始まろうとしている。
田一枚植て立去る柳かな
芭蕉の「奥の細道」にある句
那須湯本に二泊した芭蕉は、四月二十日(新暦六月七日)、
那須岳の裾野を下って行った。その先に、西行の「遊行柳」があった。
芭蕉は、尊敬していた西行ゆかりの柳を見るために立ち寄ったのだ。
遥かと思っていた柳が目の前にあり、
その木陰でしばらく安らかにしていると、
いつのまにか、田植えが一枚分終わって早乙女たちの声が消え、
ぽつんととり残されてしまった。
それでは、私もここを立ち去って旅を続けるとしよう。
西行は、花、とりわけ桜を愛したことから、室町の初め、
西行の庵にある老木の桜を題材に謡曲「西行桜」が
世阿弥によって作られたが、室町後期になって、
観世信光(1435~1516)は、西行が那須・芦野で詠んだ
「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)
上の歌の柳を主題にして、謡曲「遊行柳」を創作した。
これにより芦野の柳は「遊行柳」として広く世に知られるところとなり、
歌枕の地となった。謡曲「遊行柳」では、遊行上人(一遍上人)が奥州行脚の際に、
老人の姿をした柳の精に出会って西行が詠んだ「朽木の柳」へ案内され、
老人は、上人に念仏を授けられて成仏するが、夜になって再び現われ、
上人に柳にまつわる故事をつらつら語り報謝の舞を見せて姿を消す、
といった筋立てになっている。
俳句一句も なかなかその背景を理解していないと鑑賞も
奥行きのないものになってしまうと 自らの浅学に恥じ入る。
昭和23年(1948年)に建立された蕪村の「柳散清水涸石処々
(柳散り清水かれ石ところどころ)」の句碑もあるという。
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