Archive for 6 月, 2008

田植え

昨日の疲れが残った体をなんとかなだめて
朝から 植え継ぎをしました。

(田植え機で 欠株になったところに手で植える)
一週間くらいかかります。
といっても、朝から2~3時間程度の作業(それ以上は 腰にこたえます)

カニの散髪屋が
髪を刈ったような
植田を一望して
梟のように落胆した

予想はしていたものの
欠株ばかりのまだらの植田
種籾の量が少なすぎたのだ
一株の植え付け株数を
慣行農法の1/3にして
株間も広く植えてみると
春のいそぎの土筆のようだ

百姓は 欲張りなのだろうか
天気が続けば 雨を乞い
雨が続くと 陽を願う
風の匂いを嗅ぎ
千変万化の雲を窺がう

天が地に映り
地の声を聴くことができるような
百姓になりたいものだ

人が、作物の栽培を始めてより
唄を歌い 祈りをささげ
慈しで育てた農作が
どんなに歓びに満ち足りたものだったのか
無窮の営みの至上に迫ってみたい

それでも
よくよく見れば
早苗は危なげながら立っている

腰をかがめ
植え継ぎをしながら
そんなことを思って
百姓になっていく


田植え前夜

引締った川水が、
春の陽射しに はにかんで
その身構えを 解ほぐし
あまい井出水 田の土と
レンゲの緑肥を 鋤き込むと
とろりとろりの泥になり
さあ 田植えの準備ができました

どこからやってきたものか
そこらあたりの田圃から
カエルのソプラノ テノールが
鳴き声響かせ輪唱へ
田植え浮立のリハーサル

私の寝床も いつのまにやら波のよう  
大きくうねる 合唱の 遠く近くに洗われて
意識は 狐の嫁入りの
小雨の中に 濡れそぼり
心ここちは たゆたいの
奥からだんだん揺れはじめ
どんどん 浸みて 拡がって
向こうのほうまで 彼方まで

私がすべてになったよう
すべてが私になったよう


田一枚植て立去る柳かな――― 芭蕉

 

田植えの季節。
水を張った田圃に、緑色の早苗が愛らしく植えられている。
その水面を鏡として、柳が映り山が映り雲が映る。
また、沿線の電車が鏡の電車と並行して走っていく。
まだ、ひんやりとした静かな早朝 今日が少しづつ始まろうとしている。

田一枚植て立去る柳かな

芭蕉の「奥の細道」にある句
那須湯本に二泊した芭蕉は、四月二十日(新暦六月七日)、
那須岳の裾野を下って行った。その先に、西行の「遊行柳」があった。
芭蕉は、尊敬していた西行ゆかりの柳を見るために立ち寄ったのだ。

遥かと思っていた柳が目の前にあり、
その木陰でしばらく安らかにしていると、
いつのまにか、田植えが一枚分終わって早乙女たちの声が消え、
ぽつんととり残されてしまった。
それでは、私もここを立ち去って旅を続けるとしよう。

西行は、花、とりわけ桜を愛したことから、室町の初め、
西行の庵にある老木の桜を題材に謡曲「西行桜」が
世阿弥によって作られたが、室町後期になって、
観世信光(1435~1516)は、西行が那須・芦野で詠んだ

「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)

上の歌の柳を主題にして、謡曲「遊行柳」を創作した。
これにより芦野の柳は「遊行柳」として広く世に知られるところとなり、
歌枕の地となった。謡曲「遊行柳」では、遊行上人(一遍上人)が奥州行脚の際に、
老人の姿をした柳の精に出会って西行が詠んだ「朽木の柳」へ案内され、
老人は、上人に念仏を授けられて成仏するが、夜になって再び現われ、
上人に柳にまつわる故事をつらつら語り報謝の舞を見せて姿を消す、
といった筋立てになっている。

俳句一句も なかなかその背景を理解していないと鑑賞も
奥行きのないものになってしまうと 自らの浅学に恥じ入る。
昭和23年(1948年)に建立された蕪村の「柳散清水涸石処々
(柳散り清水かれ石ところどころ)」の句碑もあるという。