うなぎ塚 川面に映る 寒さかな
朝晩の寒さがようやく感じられるようになったこのごろ
郡川河口で、伝統漁法 うなぎ塚の漁をする人を見かける。
うなぎ塚は、川底をすり鉢状に掘り、大きな石を築いて高さ60cm位の小山をつくる。
この石塚に、上流から下ってきた鰻が、住みかとして入り込む。
それを、塚を崩しながら見つけて棘のついた鋏=鰻鋏で獲る至極原始的な伝統漁法だ。
原始的といっても簡単ではない。石の大小 築き方にそれぞれの秘伝があるらしい。
名人級になれば、ひとつの塚に4~5匹取れることも珍しくないという。
大物も取れる。勿論 坊主のときもある。
郡川の場合、お盆明けにうなぎ塚の抽選が、寿古公民館であり誰でも参加できる。
漁期は、11月まで。秋雨の後、鰻が下ってくる時がよく取れるという。
今年は、雨が降らないため漁獲の程はいかがなものだろうか。
私も20年位前、一度挑戦したことがあるが、小指ほどの鰻1匹だけ。
冷たい風の吹く中、塚を丁寧に崩しながら特製の水中眼鏡で期待しながらのぞき
また、石を崩すの繰り返し。鰻のいなかったときの落胆。
そして、再び塚を築きなおす。約2時間あまりの作業を終えると 流石に腰が悲鳴を上げる。
それにこりて、以後再びチャレンジしていない。
鰻の生態は、まだ解明されていないことが多く、最近、ニホンウナギの産卵場所はマリアナ諸島西方の3つの海山の一つ、スルガ海山のごく近くであることが推定できたという。
また、性別がはっきりしたのも最近で、幼魚のうちは全部雄で、水質や餌など過ごした環境によって性転換し雌になるのだそうだ。
日本では、縄文時代から食べられていたそうで、記録として残っているのが、
万葉集・大友家持の歌
石麻呂にわれ物申す 夏痩に良しといふ物ぞ 鰻捕り食せ
現在の鰻の食べ方になったのは、江戸後期からで、それまでは、鰻をぶつ切りにして(蒲の穂に似ているので蒲焼)串に刺して焼いただけで食べていた。
鰻好きで知られる作家に、斉藤茂吉がいる。彼の日記を調べたところ約1000匹の鰻を20数年間で食べ、彼の偉業を支えていたのは、鰻らしい。
ふるさとのの風物誌「うなぎ塚」
いつまでも続いていってもらいたいものだ。
最後に、鰻を詠んだ俳句をひとつ
あかつきの 湯町を帰る 鰻捕り 飯田龍太
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