信州の旅(16)
義仲は、二十代の若さで挙兵し三十一歳で討ち死にした義仲の光が輝けば輝くほど
その最後は、ひとしお人々の哀感を深くした。
松尾芭蕉の墓は、遺言により弟子たちが木曽義仲の墓(大津の義仲寺)の隣に弔らった。
芭蕉が、義仲の生涯をどのように見つめていたのかは想像するほかないのだが
芭蕉の義仲に寄せる敬慕は、常ならざるものがあったのだろう。
芭蕉は、義仲と平家軍との戦いで戦場と化した
北陸・燧(ひうち)が城を眺め、
義仲の寝覚めの山か月悲し と詠んだ。
また、芭蕉が、義仲の墓前で詠んだ句は
木曾の情雪や生えぬく春の草 (きそのじようゆきやはえぬくはるのくさ)
意訳:「木曽義仲の剛強な気丈の現れか。春草は墓の辺りに消え残る雪を
凌いで早くも芽吹いている。」
この句は、夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさやつわものどもがゆめのあと)
奥州・平泉での源義経の自害した高館で詠んだ句と対比されるという。
また、義仲の恩人・斉藤別当実盛を討ち取った戦いで仲義の悲嘆を呼んだ句に
むざんやなかぶとの下のきりぎりす というものもある。
芭蕉の門弟・又玄の句
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」は、芭蕉の遺言どおり義仲の墓の隣に葬られた
芭蕉の墓を詠んだものだ。
どの句も蕉風俳諧の薫りする秀逸の句である。
信州の旅も終わりに近づきつつある。
義仲と芭蕉のことについては、よい勉強になった。




