信州の旅 (14)

木曽節
木曽のナァー なかのりさん
木曽のおんたけ ナンチャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ

yoshinakayakata02

奈良井宿から馬込宿へと向かう。
国道沿いからは、「御岳さん」は見えない。
ガイドブックをみてみると、ずっと見えないそうだ。
木曽に来て「御岳さん」が見えないのはがっかり。
JR宮ノ越駅から木曽川を渡ると、すぐ右手に義仲館という資料館がある。
今回の旅で、事前にいろいろ調べた木曽義仲だ。
平家物語では、木曽義仲軍は、都での乱暴狼藉の田舎武将として描かれているが、
義仲その人は、大変な兵略家であり情義に厚い人である。
江戸期には、義仲は人気があり義仲の武者絵も人気があった。
源頼朝は、政略家であり非情な性格であった。ただ、恐妻家であり、正妻・政子には
一生頭が上がらなかったようである。

河内源氏の棟梁・源為義の長男が義朝、次男が義賢。義朝の三男が頼朝。義賢の
長男が義仲。保元の乱で、源為義は長男・義朝に斬首される。保元の乱の一年前
次男・義賢は、義朝の長男・悪源太義平に殺されている。
平治の乱により、源義朝一族は、ことごとく殺され頼朝・範頼・義経が赦される。
つまり、源義仲(木曽義仲)にとって源頼朝は、父の敵の兄弟に当たる。

木曽義仲は、平家の目をのがれ木曾谷の豪族、中原兼遠の庇護下に育ち、
通称を「木曾次郎」と名乗る。
ここで、巴御前と結ばれ、いよいよ打倒平家の旗を揚げるのだ。
ご存知のように、木曽は山また山の地方で兵力といったところで多寡が知れている。
兵を集めるには、信州の豪族に加勢を頼むほかないのだが、平家全盛の世の中で
味方になる豪族は少ない。
源頼朝も、平家への反乱初期のときも同様だった。

私たちは、歴史を結果から眺めるので命を懸けた乾坤一擲の決断を傍観者的視点で
見てしまうのであるが、歴史の結節点をまた、その躍動を手に汗して感じるためには、
あとづけされた歴史理論=唯物史観などより、平家物語などの文学から学ぶほうが
よほど上等である。



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