信州の旅 (3)
道可道、非常道。 名可名、非常名。
道の道とす可きは常の道に非ず、名の名とす可きは常の名に非ず。
中国古典「老子」冒頭の一文だ。
訳せば以下のようになるだろうか。
真理(道)と言える真理は絶対不変の固定した真理ではない。
物の名称も絶対不変の固定した名称ではない。
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わたしなりに意訳すれば
水は 水素や酸素から成り立っているんじゃないんだよ
真理が水になっているんだ。
だから、水は、氷にも水蒸気にもなるんけれどそれがすべて真理なのさ。
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中国人の玄妙なコスモスの理解は、現実と常にかかわりながら
人間のこころの深層に向けられている。
言ってみれば、自然の読み解き方が、現世的でありながら
普遍的なのである。
午後4時過ぎに、信州旅行第一日目の宿泊地、志賀高原のホテルに到着。
早速、湿原散策に出かける。
大村の鬱陶しい暑さとは違って さらりとした空気である。
足元のそこここに高山植物が茂っている。
高山帯に固有の植物を高山植物と言うそうで
低山帯や丘陵帯にも生えているが、生存適応の幅が広い植物が
高山帯にも生えているというものは高山植物と呼ばないそうだ。
山の精霊が、小さく鮮やかな花に宿りアキアカネを招きよせているよな風景に
接するうち、散策の足も自然と緩やかになってくる。
人の生の有為と無為 為す術を持たぬはかない生
空海の「秘蔵空論」の一節が 心をよぎる
三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)



