田植え

昨日の疲れが残った体をなんとかなだめて
朝から 植え継ぎをしました。

(田植え機で 欠株になったところに手で植える)
一週間くらいかかります。
といっても、朝から2~3時間程度の作業(それ以上は 腰にこたえます)

カニの散髪屋が
髪を刈ったような
植田を一望して
梟のように落胆した

予想はしていたものの
欠株ばかりのまだらの植田
種籾の量が少なすぎたのだ
一株の植え付け株数を
慣行農法の1/3にして
株間も広く植えてみると
春のいそぎの土筆のようだ

百姓は 欲張りなのだろうか
天気が続けば 雨を乞い
雨が続くと 陽を願う
風の匂いを嗅ぎ
千変万化の雲を窺がう

天が地に映り
地の声を聴くことができるような
百姓になりたいものだ

人が、作物の栽培を始めてより
唄を歌い 祈りをささげ
慈しで育てた農作が
どんなに歓びに満ち足りたものだったのか
無窮の営みの至上に迫ってみたい

それでも
よくよく見れば
早苗は危なげながら立っている

腰をかがめ
植え継ぎをしながら
そんなことを思って
百姓になっていく

田植え前夜

引締った川水が、
春の陽射しに はにかんで
その身構えを 解ほぐし
あまい井出水 田の土と
レンゲの緑肥を 鋤き込むと
とろりとろりの泥になり
さあ 田植えの準備ができました

どこからやってきたものか
そこらあたりの田圃から
カエルのソプラノ テノールが
鳴き声響かせ輪唱へ
田植え浮立のリハーサル

私の寝床も いつのまにやら波のよう  
大きくうねる 合唱の 遠く近くに洗われて
意識は 狐の嫁入りの
小雨の中に 濡れそぼり
心ここちは たゆたいの
奥からだんだん揺れはじめ
どんどん 浸みて 拡がって
向こうのほうまで 彼方まで

私がすべてになったよう
すべてが私になったよう

田一枚植て立去る柳かな――― 芭蕉

 

田植えの季節。
水を張った田圃に、緑色の早苗が愛らしく植えられている。
その水面を鏡として、柳が映り山が映り雲が映る。
また、沿線の電車が鏡の電車と並行して走っていく。
まだ、ひんやりとした静かな早朝 今日が少しづつ始まろうとしている。

田一枚植て立去る柳かな

芭蕉の「奥の細道」にある句
那須湯本に二泊した芭蕉は、四月二十日(新暦六月七日)、
那須岳の裾野を下って行った。その先に、西行の「遊行柳」があった。
芭蕉は、尊敬していた西行ゆかりの柳を見るために立ち寄ったのだ。

遥かと思っていた柳が目の前にあり、
その木陰でしばらく安らかにしていると、
いつのまにか、田植えが一枚分終わって早乙女たちの声が消え、
ぽつんととり残されてしまった。
それでは、私もここを立ち去って旅を続けるとしよう。

西行は、花、とりわけ桜を愛したことから、室町の初め、
西行の庵にある老木の桜を題材に謡曲「西行桜」が
世阿弥によって作られたが、室町後期になって、
観世信光(1435~1516)は、西行が那須・芦野で詠んだ

「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)

上の歌の柳を主題にして、謡曲「遊行柳」を創作した。
これにより芦野の柳は「遊行柳」として広く世に知られるところとなり、
歌枕の地となった。謡曲「遊行柳」では、遊行上人(一遍上人)が奥州行脚の際に、
老人の姿をした柳の精に出会って西行が詠んだ「朽木の柳」へ案内され、
老人は、上人に念仏を授けられて成仏するが、夜になって再び現われ、
上人に柳にまつわる故事をつらつら語り報謝の舞を見せて姿を消す、
といった筋立てになっている。

俳句一句も なかなかその背景を理解していないと鑑賞も
奥行きのないものになってしまうと 自らの浅学に恥じ入る。
昭和23年(1948年)に建立された蕪村の「柳散清水涸石処々
(柳散り清水かれ石ところどころ)」の句碑もあるという。

椎茸の種菌駒打ち

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2月の日曜日 炭焼き仲間とクヌギの木に椎茸の種駒打ちをおこなった。

丸っきりの素人で 説明書を見ながらの作業である。

ドリルで穴をあけ種駒を打ち込む作業で、順調に行けば、来年の秋には椎茸が収穫できる。

クヌギの原木を、昨年12月に伐採して放置しておき乾燥させ、2月初旬に約1mに輪切りにしたものに

菌を打ち込むのだが、思った以上に重量があり運搬に一苦労した。

最近、栽培方法をネットで調べてみると 椎茸にも害虫がいて食害予防のため農薬を散布しなければな

らない場合もあるらしい。

椎茸は、無農薬で栽培できると思っていたのは 素人の甘い考えだが

まあ、仲間で食べるだけなのでもちろん 農薬という毒薬はかけない。

なんとか無事収穫できてほしいものである。

来年の秋、仲間と椎茸料理に舌鼓を打ちながらの飲み会を楽しみにしている。

椎茸の子を青竹がかばひをり 田中鬼骨

頼りなき 冬の日ざしの 静かさよ 炎のゆらぎ 一人炭焼く

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野岳の山中で、仲間で炭を焼いている。

昨日は、穏やかな冬の一日だった。

友人が、用事で帰った後、一人で炭窯を焚きつけていた。

午後3時ともなると、冬の日は 頼りげなく 山の木々は、ひっそりとたたずんでいる。

私はというと 炭窯の焚きつけの番をして 炎のゆらぎに見入っている。

いたずらに過ぎ去った時間を 漠然と見つめているような

ひとの営みの無常、人生の空虚 そんなことを感じながら

空を見たり、炎のゆらぎに魅入られたりしていた。

もののけや天狗と 親しくはなしができれば 現世の裏側の世界について話が聞きたいようなそんな気持ちに

なってくる。

 

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居合いをはじめよう

前回説明いたしましたように、居合いは、刀を抜き放ってから始める剣術=「立会」に対して鞘の中から相手に合わせて

一刀のもとに敵を制する「居合」からきた名称です。その他 「抜剣」「抜刀術」「座合」「抜き」「抜合」ともいわれます。

 

よくどの流派が強いのか? 本当に何人も人が斬れるのか? 等々 素朴な質問を受けますが、答えは、拍子抜けするように簡単。

流派に、優劣はありません。より修練を積んだ者が強いのです。ただ、「強い」と言うことを深く考えていきますと、

そこに「生きる姿勢」や「精神」も含まれてきます。それは、武術から武道という 無窮の精神性をに行きつく領域です。

 

日本文化は、「型」から入ります。居合いもまたしかり。

精神を集中して稽古に励めば、日常のストレスは解消され、健康にもよい武道です。

老若男女 どなたでも 始められる武道です。

 

どうぞお気軽に まず ご見学ください。

 

流 派 夢想神伝流 神道無念流(大村藩・斉藤歓之助派)

指導者 一瀬鉄也

稽古場 大村市立西大村中学校武道場

稽古日 月曜・金曜 午後7時~9時

連 絡 0957-55-9199(なずな古本店 一瀬鉄也)

 

居合道(いあいどう)を始めませんか

居合道って何?

全くイメージがわかない方も多いと思います。

剣道・柔道・空手といった武道はメジャーですが、居合道はマイナーですからね。

居合道は、日本刀をつかった武道です。

もちろん初心者は、危険ですので模擬刀で稽古をします。

稽古着は、剣道着と同じような道着をつけてします。

模擬刀と道着があれば、どこでもいつでも稽古が出来ます。

腰に差した太刀を、鞘の中から使い 一太刀で敵を制する武道です。

そのため、居合いのことを「鞘の内」とも言います。

基本的には、一人で行う「型」の稽古です。

ですから、他の武道と違い体力・運動神経の個人差は関係なく 稽古すればするだけ上手になれます。

上達すると、二人で行う「組太刀」の方もあります。

 

非常に精神性の高い武道ですので、集中力の鍛錬やイメージトレーニングにはすぐれた効果があります。

日常のストレスから、自己を解放するまたは、自己を見つめるには格好の武道のひとつです。

 

このブログで少しづつ紹介していきますので、興味のあるひとは 楽しみにしてください。

ちなみに、下記要領にて稽古をしていますので、ご希望の方は、事前に私にご連絡してご見学にいらしてください。

 

流 派 夢想神伝流 神道無念流(大村藩・斉藤歓之助派)

指導者 一瀬鉄也

稽古場 大村市立西大村中学校武道場

稽古日 月曜・金曜 午後7時~9時

連 絡 0957-55-9199(なずな古本店 一瀬鉄也)

海鼠(なまこ)舟(ふね) ふくるゝ潮に さからわず 鈴鹿野風呂

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大村の冬の風物誌 「海鼠(ナマコ)漁」

寒風厳しい海に小さな漁船が浮かぶ。

海岸近くで箱メガネを覗きながら海鼠を突く。

少し沖合いで、海鼠籠を漁船で曳いて獲っている舟もある。

海鼠は、通常、酢海鼠にして食する。

正月料理には欠かせない一品だ。

江戸時代では、大村藩も俵物として輸出していた。

俵物(たわらもの)とは、江戸時代に対清(中国)貿易向けに輸出された煎海鼠(いりなまこ/いりこ)・乾鮑(干鮑(ほしあわび))・鱶鰭(ふかひれ)の海産物(乾物)のこと。俵に詰められて輸出された事から、この名がある。また、この3品目のことを特に「俵物三品(たわらものさんひん)」とも呼称した。

なお、この他にも寒天・昆布・鰹節・鯣などの他の俵物の輸出も行われたが、輸出海産品の主体である「俵物三品」と区別して「(俵物)諸色」と呼ばれていた。

近年特に、中国の需要が高く 高級品食材としてもてはやされている。

しかし、不思議なことに日本料理の食材としては馴染みが薄い。

どうしてなのだろうか。

日本人は、干し物より生の嗜好性が強いせいであろうか。

 

 

さて、夏目漱石の俳句に

安々と海鼠の如き子を生めり 漱石

というものがある。

妻・鏡子夫人の初産のときに詠んだもので、句としては面白いのだが、

奥さんにしてみれば あんまりな俳句である。

また、長女「筆」さんにとっては、海鼠みたいな赤ちゃんとは

うれしくない形容である。

さぞ、恨まれたことであろう。

うなぎ塚 川面に映る 寒さかな

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朝晩の寒さがようやく感じられるようになったこのごろ
郡川河口で、伝統漁法 うなぎ塚の漁をする人を見かける。

うなぎ塚は、川底をすり鉢状に掘り、大きな石を築いて高さ60cm位の小山をつくる。
この石塚に、上流から下ってきた鰻が、住みかとして入り込む。
それを、塚を崩しながら見つけて棘のついた鋏=鰻鋏で獲る至極原始的な伝統漁法だ。
原始的といっても簡単ではない。石の大小 築き方にそれぞれの秘伝があるらしい。
名人級になれば、ひとつの塚に4~5匹取れることも珍しくないという。
大物も取れる。勿論 坊主のときもある。
郡川の場合、お盆明けにうなぎ塚の抽選が、寿古公民館であり誰でも参加できる。
漁期は、11月まで。秋雨の後、鰻が下ってくる時がよく取れるという。
今年は、雨が降らないため漁獲の程はいかがなものだろうか。
私も20年位前、一度挑戦したことがあるが、小指ほどの鰻1匹だけ。
冷たい風の吹く中、塚を丁寧に崩しながら特製の水中眼鏡で期待しながらのぞき
また、石を崩すの繰り返し。鰻のいなかったときの落胆。
そして、再び塚を築きなおす。約2時間あまりの作業を終えると 流石に腰が悲鳴を上げる。
それにこりて、以後再びチャレンジしていない。

鰻の生態は、まだ解明されていないことが多く、最近、ニホンウナギの産卵場所はマリアナ諸島西方の3つの海山の一つ、スルガ海山のごく近くであることが推定できたという。
また、性別がはっきりしたのも最近で、幼魚のうちは全部雄で、水質や餌など過ごした環境によって性転換し雌になるのだそうだ。
日本では、縄文時代から食べられていたそうで、記録として残っているのが、

万葉集・大友家持の歌
石麻呂にわれ物申す 夏痩に良しといふ物ぞ 鰻捕り食せ

現在の鰻の食べ方になったのは、江戸後期からで、それまでは、鰻をぶつ切りにして(蒲の穂に似ているので蒲焼)串に刺して焼いただけで食べていた。
鰻好きで知られる作家に、斉藤茂吉がいる。彼の日記を調べたところ約1000匹の鰻を20数年間で食べ、彼の偉業を支えていたのは、鰻らしい。

ふるさとのの風物誌「うなぎ塚」
いつまでも続いていってもらいたいものだ。

最後に、鰻を詠んだ俳句をひとつ
あかつきの 湯町を帰る 鰻捕り 飯田龍太

蕎麦は まだ花で もてなす山路かな 芭蕉

 

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朝、まだ有明の月の残る頃
山の畑で農作業

畑一面 蕎麦の花が迎えてくれる。
ひんやりとした朝の畑の農作業は
文字どうり朝飯前の仕事だ。

蕎麦は、9月10日に植えたもので、11月の下旬には収穫できる。
昔から、蕎麦は救荒作物のひとつ
痩せた土地でも短期間で収穫できるのが特徴。

 

日本人に馴染み深い蕎麦が、幻想的に詠まれている好きな俳句をいくつか拾ってみると

此頃の銀河や 落て そばの花      青蘿

月を実に むすぶやすらん そばの花    青蘿

秩父路や 天につらなる 蕎麦の花    加藤 楸邨 画像-004

 

このような琴線に触れる詩を 味わいながら
改めて蕎麦の花を見てみると
見慣れた花が、しみじみと新鮮な感覚として木霊して来る。

ところで、蕎麦を麺に調理して食するようになったのは、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。蕎麦粉を熱湯で練った蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練りとも言う)は、それ以前から食べられたいたが、現在通常 蕎麦という蕎麦切り(そばきり)は、桃山時代からのことらしい。

 

画像-003 以前何かの本で、昔から うどんは、関西以西 蕎麦は、関東以東で食べられていた。その理由は、うどんの原料である小麦が、関東以東では栽培されなかった(気候の関係)からと読んだことがあるが、これは、間違いで、関東以東でもうどんは食べられていたとのこと。ただ、元禄頃より江戸で屋台形式のファーストフードとして蕎麦が人気となり、その後、蕎麦屋が町内ごとにできる盛況となって もっぱら江戸及びその周辺ではうどんの影が薄くなったとのこと。現在の立ち食い蕎麦は、屋台形式の名残でもあるのだろう。
蕎麦屋は、蕎麦切りのみを供したわけではなく、酒の肴として蕎麦や種物(たねもの)の種だけ(ヌキ、天麩羅、かしわ、鴨、卵、蒲鉾=「板わさ」などや焼海苔、厚焼き玉子、はじかみショウガと味噌、また場合によっては親子丼などの丼ものなど)もメニューとして出していた。洒落た飲み屋でもあったとのこと。
機会があれば、こんな蕎麦屋で、美味い酒と種物で友とゆっくりと過ごしたいものだ。

さて、このところの気温上昇で蕎麦の出来は、どうなるのか いささか心配だ。

 

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